2010造形に関わる学問の成り立ち

1歴史の中での「作品」
作品と言ってもその世界の多様さに一言では語り尽くせないが、人類の長きにわたる歴史の中で美術という概念や学問の歴史の始まりがつい数百年程前だと言う事に驚きを隠せない。
日本において美術という言葉が確固たる存在を示すのは、明治5年のウィーンで開催された万国博覧会参加に伴い、翻訳語として考案された時からである。
現代から過去の歴史を振り返ると学問成立以前から現代でいう「美術」として素晴らしいものが古今東西には数多くあるが、それぞれの内面ととりわけ深くかかわる営みの産物である作品達は長きにわたり美術という観念や制度の枠組みの中に存在していなかった。と、いうよりも枠組みをつくり存在させたのはここ数百年の歴史であり、その観念は時代や地域によって様々に異なるものだ。
現在では芸術の研究が深く進められているので観念の成立前当時の社会における芸術の在り方を伺い知る事は書物の中でしか出来ないが、芸術という概念が構築される以前から人が「美しいもの」を求め、社会の中で芸術家と鑑賞者が相互関係を持ちながら作品が作品として脈々と存在してきた事は素晴らしい事実だ。
2美術史学の推移と現代を生きる私的作品観の共感点
美術史学の歴史では18世紀以降の哲学における「存在」の対象が自然から神、神から人間へ、人間が存在を認識するあり方に推移して行く事により「美学」の基礎が生まれる。ここからやっと作品そのものだけでなく、感性・認識・精神・・・と、芸術はそれらの所産という作品そのものの存在だけでなく、生まれた経緯や背景に眼を向けて俯瞰し、社会の中での立脚地を築いて行く。月日は流れ20世紀に入り美術史家アーウィン・パノフスキーが提唱する美術史学の方法論「イコノロジー」からの流れは現代に生きる芸術愛好の私が作品と向き合う時、ほぼ無意識的に考える概念だ。「イコノロジー」は、「単に作品に描かれた画像がなにであり、そこにどのようなテーマがこめられているかといった、作者の意図によって決定されるものにとどまらない。そうした画像やテーマの選択・判断そのものをさらに主題化して分析することによって、作者さえも意図していないその時代や地域における価値観としての意味を読み解くことがイコノロジーの方法であり、そこから文化の精神的な特質が明らかになる」金子伸二『造形学概論』(2004年)と、美術作品の意味に目を向けたものだった。
3自分にとっての「作品」観
2の「イコノロジー」を礎に美術史学のみならず社会学・歴史学など多角的な視点で芸術を考えること、例えば作家自身がその時代・国の中でどのような人生を生き、その各ポイントに何を思い造形に至ったかというストーリーは、作品そのものへの深い理解を促してくれる。作者の人となりを知ることで、作品の技法・色・モティーフの推移の全体像が輪郭を持って浮かび上がってくる。更に作家の作品同士を自分なりの価値観で比較や批評する事が出来る。学問的知識がなくても作家の世界観の片鱗を味わう事が出来るのではないだろうか。
4日本の寺巡り
美術館の中で文字パネルや映像資料を見ず、ダイレクトに作品と向き合うのも面白い。何の予備知識も持ち合わせずに作品を感じる事は知識の制約を受けず自由だ。
数年前、お遍路の札所含む45カ所程の関西の寺を巡ったことがあった。
それは写真家の助手としての仕事だったので普段は開放されていない文化財や国宝を見られる貴重な体験だった。その時の私は「何の予備知識も持ち合わせ」ていない状態で、学生時代の授業の朧げな記憶しかなかった。そこにあるのは額装された絵や作者が明確なもののみではない。庭における借景の美や書院、季節毎に趣の違う茶室が敷地に点在しており、仏像だけでなく襖絵・欄間・天井絵1つ1つが作品と賞賛に値するものばかりだった。それら全てから構成されるお寺全体の空間が立体的な作品だった。ブルーノ・タウトのいう、「眼の悦び」の意味を、回想して納得した。
5作品と向き合って
今感じるのは4の当時、知識を持ち合わせていれば更なる感動を得る事ができたのだと思う。美術史家・批評家の評価を知る事で主観にとどまらず新たな視点・価値観を受容出来る。それらの人々は美術探究者でその道のプロであるから自分では思い及ばなかった領域を見せてくれる。
私にとっての芸術作品とは、有名無名・知識の有無に関わらず「眼の悦び」を感じるもの。構図・技法・色・マチエル・モティーフ・展示空間・・・、と主観ばかりだが心が震え充足感を得る対象だ。
作品単品でも個人の主観のみでも作品が作品として成立する事は出来ない。
芸術とは鑑賞者にとって学問や識者という手がかりは必要不可欠で、それを包括する社会・鑑賞者ら全ての共同作業である。
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by artkzr | 2010-03-31 20:38 | 考察