牡丹に蝶

浮世絵は鎖国下の江戸時代の庶民層によって生み出された美術である。
理想や建前の絵画表現である官画と比べ率直な人情に即した俗の絵画の代表といえる。
浮世絵には版画、絵画と肉筆画のものがある。絵画と肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は庶民大衆の広範な需要を前提とした美術であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められる表現形式であった。
当時の日本は多くの点で同時代のヨーロッパと比べて少しも遜色のない高い文明度を持った社会背景を作り上げた時代であった。
その理由として
1)100万人を超える総人口
2)商品経済の進展とそれに伴う実力派町人層の台頭と興隆
3)江戸大都市の発達
4)全国規模にわたる交通、通信、運送手段の整備、
5)庶民階層までも含めた教育の普及
等に端を発し、定着して生活を営む層が増加し都市としても文化としても成熟度が高まり、洒落本、読本、草双紙、錦絵などの出版物を手がけた地本問屋が隆盛した。
それは本のみにとどまらず社寺に奉納される絵馬が絵画鑑賞者層の拡大に大きく貢献し芝居、遊芸、見世物、民衆版画等を通じて文化の大衆化が始まったことにも起因する。
初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主であったのが明和2年(1765年)から錦絵が誕生する。
錦絵は多色摺の木版画のことで、多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。
越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。
また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点もあげられる。
浮世絵師、「葛飾北斎」は生涯にわたり肉筆画、摺物、版画、挿絵、絵手本、役者絵、美人画、物語絵、花鳥、動植物、風景、風俗、装飾等あらゆる分野において多様な技法を駆使して膨大な量の作品を生み出し、絵画史の上に大きな足跡を残した人物である。
作品は、「鎖国時代」にすでにある程度まで西欧にしられており、世紀の後半にはフランスの印象派、後期印象派の画家たちや愛好家に強い衝撃を与え、ジャポニズム流行の重要な一因となった。
「葛飾北斎」は、1760年 江戸本所割下水に生まれ1764年に 幕府用達鏡師であった中島伊勢の養子となった。
1778年 、勝川春章の門に入り狩野派や中国画、西洋画などあらゆる画法を学び、風景画を多く手がけた。
この頃は「春朗」という号だった。
北斎は、絵師人生の中でおびただしい数の改名をしている。「宗理」「葛飾北斎」「戴斗」「為一」「卍」等等である。
生涯にわたり、名号だけでなく描くジャンルや画風をも次々に変化させていく画歴は常にエネルギッシュで、その枯れることのない創造性と、絵に対する飽くなき探求姿勢には感嘆すると同時に見習いたい。
どの作品にもいわゆる乱作は見られず、考え尽くされた完成度の高い魅力的な作品ばかりだが、「牡丹に蝶」を例にあげてみたい。
天保2年頃につくられ、ミネアポリス美術館蔵のこの作品は横大判錦絵で、北斎の描く花鳥図は全部で10図が知られている。
主題は花と昆虫を組み合わせたものがほとんどだが、同作品は吹き付けてくる風に体全体を揺らしているたわわな肉付きの牡丹を、画面からはみださんばかりに斜めに配置することで表現されており、葉や花弁が表裏によって色の濃さを変え、ぬかりない細部の自然観察表現が特徴であり、絵を全体で眺めたときの構図の取り方、配置、そして間近で見たときの精緻な描写、メリハリのある色彩構成などは北斎画共通の魅力であり特徴である。
どれもが動かしがたい構成の上になりたっており綿密に計算された構図である。
右上から左下への力強い構成力学を、傍らに逆さに描かれた蝶によって風の強さを表現しており、その位置とモノトーンの色彩が構図上で視覚的ポイントとなっている。
一見すると、単純な美しさを持ち合わせた花鳥図のようにみえるが、目に見えない風や、空間をも表現しており、従来の花鳥図にみられるような平穏な四季の推移や季節感を表出しつつ季節の変化に感じ入り謳い上げるといった表現とは一線を画している。
少し年若である浮世絵師、歌川広重の安政4年に描かれた「亀戸梅屋舖」は、構図こそ大胆ではあるが、「予がまのあたりに眺望せし其儘にうつし置きたる草稿を清書せしのみ」と語るがごとくあるがままを鮮麗な色調で静謐に描いている。
歌川広重の表現を静のそれとするならば、北斎の「牡丹に蝶」は富岳三十六景などにみられるような大胆で奇抜な作品では無いにしろ、独創的な表現、艶麗な風情、ドラマティックな迫力、斬新な画面構成等、どれをとっても一貫して北斎画業の重要な特色であり、動的な表現に満ちあふれている。


参考文献「浮世絵の歴史」、小林忠、1998年、美術出版社、「19・20世紀の美術岩波に本美術の流れ6」、高階秀爾、1993年、岩波書店、「新潮日本美術文庫17葛飾北斎」、神谷浩、1998年、新潮社
[PR]

by artkzr | 2010-07-26 11:49 | 考察