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フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」

1780年から1980年までの間に制作された西洋美術の作品、国立新美術館企画展示室2Eにて2010年5月26日から8月16日まで行われた「オルセー美術館展2010・ポスト印象派」に展示された、フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」、1887年、油彩・カンヴァス、について実際に鑑賞した上で造形的な特質について具体的に考察をする。
印象派の筆触分割に影響を受けたタッチは独特に長く引き伸ばされ、うねり、顔面には、赤と緑で大胆なアクセントが添えられて、表現主義的である。
大胆で荒々しい筆触による形態表現が、綿密で繊細な計算によって構成されており、印象派風の明るく豊かな色彩描写はゴッホ特有の表現である。
自画像が配置されている中央部分の背景は人物を中心に渦を巻くような同系色のリズミカルな筆跡が残っており、自画像の顔部分に視線が誘導されるようだ。
全体的に背景部分の渦巻きを含め絵の具を塗っているというよりはのせているといった印象で、部位によって多様な形態表現が施されている。中心から外に向かうにつれ同系色の背景は求心的な渦巻きの筆跡から外に向かって拡散している。ストロークを変えることによって視界の幅を広げている。
背景に実景は描かれておらず色と線と形のみによって表現することでヴィンセント・ヴァン・ゴッホが自分という対象を凝視しその姿や性格、内面を描くだけでなく、絵画の可能性を追求する自画像へ取り組んだ姿勢を鑑賞者が追体験できる。
自分を見据える真摯な眼差しが印象的であり、目の陰影部分に施された緑色の絵の具は一見唐突な印象を受けるが、肌の色と対比すると補色になっており、髪の毛や髭、シャツの陰影部分にバランスよくとけ込んでいる。
他にも肌の色や髭の表現にみられる多様な色数の配置が自然に調和している。迷いのない太い線で描かれていることも印象的だ。
また、背景色との関連性も感じられる。背景と衣装の色が同系色にまとめられているのでなおさら顔と髭が引き立てられ印象深い。
衣装は背景と同系色でまとめられてはいるが、筆触はそれぞれ異なっておりバラエティに富んでいる。
例えば、衣服部分の絵の具は顔に比べるとややうす付きであり、混色により多少くすんだ印象をうけるが、彩りは淡く水彩画のようでもある。繊維やしわの流れにそって描かれた線は肌の色に呼応している。
全体的に紺に近い色がしめているので重くなりがちな印象だが、中心部分のネクタイの赤部分は顔の赤と呼応し、外側に向かうにつれ肌の明るい部分へとグラデーションになっており中心から外側へと視線が解放的になっていく。
一方、顔や中心部分に近い背景などには視線を誘導されるような筆触が特徴的で、背景とのメリハリがある。
特に画面手前部分、鼻・シャツの襟などは特に絵の具を厚く盛り上げて塗っているので遠近感が感じられる上に、顔・衣服・背景との断絶がはっきりと強調されている。
襟の下にも同様の調子で盛り上げているところに、ほぼ真ん中にある断絶の襟の存在の緊張感を分散させてくれる効果を感じる。
同色の濃さを変え、額と鼻にいれることによりそれぞれの独立した要素が関連性を持ち、とけ合っている。
画面全体を通して、それら色使いのバランス表現が見事に調和している。
奥の画面では溶き油などを使用したような滑らかな線が求心的、もしくは放射的にぬられている。
放射の先には髪や顔に使用されている黄色系の色が淡く配置されているので背景が画面以上に広がりをもっているように感じ開放的である。
手前部分も同様に外套の生地は滑らかな質感を醸しており上にのせられた柄のかすれた筆触が背景との輪郭の境となるアクセントになっている。
ストロークも繊維の流れにそって、もしくは重心にそって向きを変えて変化に富んでいる。
顔の輪郭は衣服同様ではっきりとは施されていないが、背景から塗った絵の具で決めている部分は衣服の輪郭線とのはっきりとした違いであり、輪郭線はなくとも両者とも手前にあることがわかるが背景色を左耳部分との境界にしっかりと置くことで顔の部分が特に強調されて遠近表現にもなっている。
背景・顔・衣服と、様々な筆触表現を試みており躍動感や無限性、絵の奥行きを感じさせる。
多様な色数もアクセントとして使用される色それぞれに関連性があるため、結果として1つの絵としての調和をつくっている。
ばらばらになりがちなたくさんの色と筆触を絶妙で精緻なバランス感覚によってまとめあげているのだ。

参考文献、「ゴッホ自画像の告白」、編集・訳木下長宏、1999年、二玄社、「ポスト印象派ビジュアル美術館」、コリンウィギンズ、1994年、同朋舎出版
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by artkzr | 2010-07-26 14:26 | 考察

中世美術

1)初期キリスト教時代の「ヨナと鯨」はローマのサン・マルチェッリーノ・エ・ピエトロのカタコンベの壁画である。
古代末期は、多くが東方に起源を持つ神秘主義的な宗教がローマ帝国内で乱立した時期である。
最初のキリスト教徒は貧しい労働者階級が多く、質素さを重んじる道徳観を有していたためにこの時代の美術は簡素である。
偶像崇拝禁止の教義のため、キリスト像は象徴によって表されることが多く、3世紀のカタコンベ壁画では、十字架の形を象徴する錨(いかり)やイエス・キリストを意味する魚や文字など、信仰を間接的・暗示的に表明する単純なモチーフが大半を占め、顔料を用いた壁画、エンコースティック、モザイク画が発展した。ヨナの物語は「聖書」の一場面を描いている。
キリストの到来によって魂の復活と救済を確信していた教徒の関心を反映する図像が多い。平面的で描き込みの少ないこの時代の絵は世俗的な富や権力が介在せず、質素で素朴であるがゆえに人々の無垢な信仰を感じた。
2)ビザンティン時代の「シナイ山のキリスト」は、古代末期の3次元的、自然主義的表現を継承しつつ、平面的、抽象的傾向を強め、同時代の西ローマ・西ヨーロッパの美術に比べて独特な東方特有のキリスト教美術であり、多くが現実の再現よりも神秘的な神の超越性の形象を求める理知的な傾向、鮮やかな色彩などを贅沢に使うことを特徴としているが、イコノクラスム期間に大半が破壊された。
392年、テオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の唯一の国家宗教となし、宗教的寛容性が終わりを告げたことによって美術はキリスト教教義のためのプロパガンダとなった。
絵画よりも高価で富と権威の表現に適したモザイク画の放つ光はキリスト教図像の神秘性を強めた。地上の皇帝と同等の権力を有する天上の支配者である勝利のキリストは、ローマ皇帝の衣をまとい威厳ある堂々たる全能者の姿に表された。
左右非対称の顔は眼光鋭く、口は真一文字にとじられ、威厳に満ちた表情だ。
肌や眼などの表情が念入りに描かれ、神秘性の表現におもきがおかれていたことがわかる。

3)西欧中世初期時代のローマは帝国ではなくなったが、いまだキリスト教の精神的な中心地であり、教皇はこの権威の可能性を追求し異教徒が理解出来る言語で教えを伝えて改宗者を教育することにより学問の発達、聖典、聖書の写本制作が促進された。
「ケルズの書」の「聖母子」は
古典古代美術の自然主義的な伝統と接触のなかったアイルランド系修道士であるケルト系キリスト教の高度に抽象的で装飾的な様式と旧来の文化が対峙しながら発展していった。
聖母子や天使の表情に写実的な人物表現はみられず、キリスト教の神秘性を表現する抽象的で精緻なケルト文様で装飾されている。
曲線の美しさが印象的である。人物の顔や髪、衣文の文様化により、どことなく愛らしく、親しみやすい雰囲気を醸している。

4)ロマネスク時代の「栄光のキリスト」はロマネスク美術の最高傑作といわれる、サン・クリメン教会の高さ8メートルの巨大壁画である。
 天上(神の)世界をキリストの像で表しており、キリストの像は左右対称だがポーズを崩していきいきとした動きを持っている。
色数は少ないが鮮やかで、その輝き自体が威厳にあふれたキリストの神の栄光を表現している。
右手の形はキリストが人々を天国に導く最高の存在であることを示している。
全西欧に普遍的な美術が発展し聖遺物崇敬が頂点に達し巡礼熱が遠隔地同士に多様な交流を促した。重要な聖遺物は必然的に巡礼者と収入をもたらすため、教会は所有物に対する信仰を奨励した。各国、各地方でそれぞれの独自性を持った最初の大芸術が生まれた。
教会は精神的権威を強化するために、世の終末に対して民衆が抱いていた恐怖心を効果的に利用するなど、物質的富を誇示し、布教するために芸術を利用した。
この時代は磔形図も長衣をつけ、眼を開き、脚を平置し堂々とした威厳、キリストの勝利を強調している。

5)ゴシック時代のチマブーエ作の「十字架のキリスト」は宮廷様式の時代をむかえ、テンペラ技法による衣文が大きく面的に表現され、明暗を加えることにより立体的な絵画表現がみられる。
ロマネスク美術に比べ、遠近法や優雅な線の使い方などの自然な人体表現などがなされるようになった。
都市発展が進んだ結果世俗権力への富の再分配を促し、金銭と権力は修道院から都市へと移った。この時代の磔刑像は、キリストは腰衣だけをまとい、傷口やそこから流れる血を強調して示し、眼を閉じ、一本の釘で重ねた両足を打ち貫き、荊の冠をして、息の絶えている、贖罪としてのキリストの苦難を強調した姿を表したものが多い。
この絵に見られるキリストは頭を垂れ、血をながし悲しい表情をしている。
ビザンティン美術の様式が色濃く残っているものの人物の自然な表情や衣服の表現にみられる空間表現への意識など、ルネサンス絵画への道を確実に歩み出していることが見て取れる。



参考文献「世界美術史」、メアリー・ホリングスワース、1994年、中央公論社、「西洋美術の主題と物語」、三輪福松、1996年、朝日新聞社、「岩波キリスト教辞典」、大貫隆他、2002年、岩波書店、「岩波世界の美術初期キリスト教美術・ビザンティン美術」、ジョン・ラウデン、2000年、岩波書店
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by artkzr | 2010-07-26 11:55 | 考察

牡丹に蝶

浮世絵は鎖国下の江戸時代の庶民層によって生み出された美術である。
理想や建前の絵画表現である官画と比べ率直な人情に即した俗の絵画の代表といえる。
浮世絵には版画、絵画と肉筆画のものがある。絵画と肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は庶民大衆の広範な需要を前提とした美術であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められる表現形式であった。
当時の日本は多くの点で同時代のヨーロッパと比べて少しも遜色のない高い文明度を持った社会背景を作り上げた時代であった。
その理由として
1)100万人を超える総人口
2)商品経済の進展とそれに伴う実力派町人層の台頭と興隆
3)江戸大都市の発達
4)全国規模にわたる交通、通信、運送手段の整備、
5)庶民階層までも含めた教育の普及
等に端を発し、定着して生活を営む層が増加し都市としても文化としても成熟度が高まり、洒落本、読本、草双紙、錦絵などの出版物を手がけた地本問屋が隆盛した。
それは本のみにとどまらず社寺に奉納される絵馬が絵画鑑賞者層の拡大に大きく貢献し芝居、遊芸、見世物、民衆版画等を通じて文化の大衆化が始まったことにも起因する。
初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主であったのが明和2年(1765年)から錦絵が誕生する。
錦絵は多色摺の木版画のことで、多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。
越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。
また、経済の発展により下絵師、彫師、刷師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点もあげられる。
浮世絵師、「葛飾北斎」は生涯にわたり肉筆画、摺物、版画、挿絵、絵手本、役者絵、美人画、物語絵、花鳥、動植物、風景、風俗、装飾等あらゆる分野において多様な技法を駆使して膨大な量の作品を生み出し、絵画史の上に大きな足跡を残した人物である。
作品は、「鎖国時代」にすでにある程度まで西欧にしられており、世紀の後半にはフランスの印象派、後期印象派の画家たちや愛好家に強い衝撃を与え、ジャポニズム流行の重要な一因となった。
「葛飾北斎」は、1760年 江戸本所割下水に生まれ1764年に 幕府用達鏡師であった中島伊勢の養子となった。
1778年 、勝川春章の門に入り狩野派や中国画、西洋画などあらゆる画法を学び、風景画を多く手がけた。
この頃は「春朗」という号だった。
北斎は、絵師人生の中でおびただしい数の改名をしている。「宗理」「葛飾北斎」「戴斗」「為一」「卍」等等である。
生涯にわたり、名号だけでなく描くジャンルや画風をも次々に変化させていく画歴は常にエネルギッシュで、その枯れることのない創造性と、絵に対する飽くなき探求姿勢には感嘆すると同時に見習いたい。
どの作品にもいわゆる乱作は見られず、考え尽くされた完成度の高い魅力的な作品ばかりだが、「牡丹に蝶」を例にあげてみたい。
天保2年頃につくられ、ミネアポリス美術館蔵のこの作品は横大判錦絵で、北斎の描く花鳥図は全部で10図が知られている。
主題は花と昆虫を組み合わせたものがほとんどだが、同作品は吹き付けてくる風に体全体を揺らしているたわわな肉付きの牡丹を、画面からはみださんばかりに斜めに配置することで表現されており、葉や花弁が表裏によって色の濃さを変え、ぬかりない細部の自然観察表現が特徴であり、絵を全体で眺めたときの構図の取り方、配置、そして間近で見たときの精緻な描写、メリハリのある色彩構成などは北斎画共通の魅力であり特徴である。
どれもが動かしがたい構成の上になりたっており綿密に計算された構図である。
右上から左下への力強い構成力学を、傍らに逆さに描かれた蝶によって風の強さを表現しており、その位置とモノトーンの色彩が構図上で視覚的ポイントとなっている。
一見すると、単純な美しさを持ち合わせた花鳥図のようにみえるが、目に見えない風や、空間をも表現しており、従来の花鳥図にみられるような平穏な四季の推移や季節感を表出しつつ季節の変化に感じ入り謳い上げるといった表現とは一線を画している。
少し年若である浮世絵師、歌川広重の安政4年に描かれた「亀戸梅屋舖」は、構図こそ大胆ではあるが、「予がまのあたりに眺望せし其儘にうつし置きたる草稿を清書せしのみ」と語るがごとくあるがままを鮮麗な色調で静謐に描いている。
歌川広重の表現を静のそれとするならば、北斎の「牡丹に蝶」は富岳三十六景などにみられるような大胆で奇抜な作品では無いにしろ、独創的な表現、艶麗な風情、ドラマティックな迫力、斬新な画面構成等、どれをとっても一貫して北斎画業の重要な特色であり、動的な表現に満ちあふれている。


参考文献「浮世絵の歴史」、小林忠、1998年、美術出版社、「19・20世紀の美術岩波に本美術の流れ6」、高階秀爾、1993年、岩波書店、「新潮日本美術文庫17葛飾北斎」、神谷浩、1998年、新潮社
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by artkzr | 2010-07-26 11:49 | 考察

映像文化覚え書き

写真の誕生は、1830年末の西欧において告げられた。
ニエプス、ダゲール、タルボット、バヤールといった複数の発明者がそれぞれの関心のもとに着想を実現した新しい画像形成の技術である。
17世紀にカメラ・オブスクラが実用化されると、多くの画家たちが作品制作の補助用具としてこの機器を使うようになった。
初期の写真術では一回の撮影で得られる画像は一点限りであり複製を生み出す能力を欠いていた。(ダゲレオタイプ)
のちに画像を形成し定着させる支持体が金属のプレートから感光物質を染み込ませた紙に露光を行うことによって黒白を再反転させたプリントを何枚でも複製する技術が実現した。「カロタイプ」の発明である。
発明が一応の達成をみた後に史上初の写真入り刊行物「自然の鉛筆」が1844年から46年にかけて6分冊刊行される。
地理上の遠隔地の景観をとらえ、イメージを間近に所有することが可能になり、その手段としてダゲレオタイプを活用し、画像から腐食銅版画の版を描き起こし、複製化して出版する一方で、その精密な描写力を活用し顕微鏡によって観察される像を画像標本にした。
17世紀以降19世紀に至るまでブルジョワ社会の勃興にともない肖像画の世俗化と拡大が進んだことはそれまで限られた特権階級に専有されていた、自分や家族の肖像を持つという習慣への公衆の欲求に応える革新的な方法であり、活発な肖像ビジネスが成立された。
カロタイプの導入によりフランスにおいては公的機関が発注し、各地の建築遺産、鉄道路線、自然災害など国土の地理的様相を扱う記録事業が遂行された。
並行して先駆的に写真と出版メディアの結び付きは大きく進展し、版画等の媒介のないカロタイプ印画をじかに取り込む写真出版が産業として成り立ち始めた。
鉄塩の感光性を用いた技法の「サイアノタイプ」は19世紀から20世紀にかけて複製技術の需要が高まる工業分野でも重用された。
1851年にガラス板を支持体とし、その表面にコロジオンという物質を塗布しネガ・プレートとして用いる「湿式コロジオン法」の導入が本格化し、写真術の利用が地球的規模に浸透した。
ロンドンでは1855年に史上初の本格的な戦争写真の事例としてクリミア戦争のドキュメントをロジャー・フェントが撮影し、戦争という出来事を写真によって報告すること、写真というメディアによる叙事の方法を実践的に切り拓き、写真画像の流通と享受の形態を広げる一助となった。
さらに鶏卵白を用いた印画紙であるアルビュメン・ペーパーと併用することによりシャープな輪郭、光沢ある表面、コントラストの鮮明さを表現でき、商業目的の量産工程も円滑化した。
1870年代の末、ゼラチン乾板の開発が進み、従来撮影者自らの手で準備されていたネガ・プレートは工場での量産品として市販化され、プレート処理の手順が簡略化された。
高感度のゼラチン乾板の普及により動態撮影が可能になったが、並行して写真の感色性改善という課題を模索していた。その時代から改良を重ねてつくられていたプラチナ・プリントにおける印画法は諧調表現の豊かさと優れた耐久性を備え、その画像をもちいた写真出版物を発表したのは1880年代後半にアート・フォトグラフィの革新者として登場したピーター・ヘンリー・エマーソンである。
その後、造形芸術としての写真表現が時代背景を反映しながら進化をとげる。
19世紀末に発明された網目版印刷法は、写真を文字と同じ紙面に印刷し、一度に大量の情報を多くの人々へ送ることを可能にした。
そのことは大衆の視覚の欲望を刺激し、視覚文化の享受の効力を発揮する。
しかしロシア構成主義のエル・リシツキーによる「ソ連建設」に見られるようなイデオロギーのためのプロパガンダに利用されることも少なくなかった。
1930年代の政治的な事件や世界へ拡大する戦争はライカに代表される小型カメラと高感度フィルムの普及によってありのままの戦争が写真雑誌を通じて報道されるようになると写真は芸術とジャーナリズムを強く結びつけるように働く。それらの映像は世界中の戦争や重大事件の目撃者として人々に忘れがたい記憶を残した。
ファッション専門雑誌における広告・ファッション写真は女性たちの消費の欲望を刺激し、趣味やライフスタイルを選択する物差し、意思や態度を決定する規範となり、個人消費の拡大の一助として報道写真と同様に社会的影響力を持ち、ファッションがより民主化されるに至る。
色調の安定性などカラー写真の問題が解決された1970年代以降、カラー写真による表現を試みる写真家が登場した。
現代ではデジタルカメラやスキャナ、コンピュータの普及によりデジタルイメージが選択肢のひとつとして一般化されるにともない、新たなコミュニケーションスタイルが成立し、ブログなども含め紙媒体ではない写真イメージが無数に飛び交い氾濫している。
映像メディアだけでなくメディア全般のメディア・リテラシーが求められているのである。



参考文献、「世界写真史」、飯沢耕太郎、2004年、美術出版社、「写真と芸術、接触・影響・成果」、オットー・シュテルツァー、1974年、フィルムアート社
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by artkzr | 2010-07-24 19:18 | 考察

「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」

「源氏物語絵巻」は、源氏物語を題材にして制作された絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の制作であるとされており、各帖より1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式である。
物語の挿絵にとどまらず、人物の心意や場面の情趣をも描いた物語絵巻である。
衣装の色合い、色彩構成、人物配置どれもが緊密であり主人公たちのせつない心の動きを効果的にあらわしている。
書も大変美しく、芸術として鑑賞する楽しみがある。
詞書の第5紙の重ね書きは少々読みづらい部分がありながらも切迫した物語雰囲気を視覚的によくあらわしており効果的だ。流麗なひらがなと様々な書風の混在は優美である。また、料紙は場面毎に趣の違うデザインを施されており、どれをとっても濃密で美しい。
斜め上方から見下ろした俯瞰描写が多くみられ、「吹抜屋台」という屋根や天井、蔀度や御簾等、不要なものは一切描かれておらず、鑑賞者に見せたいものだけを最も効果的に見せている。観者は吹抜屋台による俯瞰視点と至近距離にいる女房達の視点、二カ所から物語に参加することができる。
構図には等軸測投影図法と斜投影図法を場面によって巧みに使い分けており、奥行きの表現をほとんどせず、全体に色の面をバランスよく配置し、見る者の目に、画面の美しさや華やかさを強く訴えかけてくる。後ろ姿の人物が極端に小さく描かれているのは女絵の約束事である。
人物は「引目鉤鼻」の手法が用いられている。
一見単純な描法の顔だが、一本の線のように見える目は細い線を引き重ねて、墨の濃淡がつけられていたりするので、微妙な心理が慎ましく表現されている。
絵巻ならではの流動感をあえてせず、画面は一紙で完結し、情景は静止した世界で細部まで入念に描かれていることで、鑑賞者は時間をかけ物語の男女の心情に没入し細かい部分を味わうことができる。

「信貴山縁起絵巻」は、平安時代末期の絵巻物で、院政文化または平安末期文化という平安時代末葉の11世紀後半から鎌倉幕府成立に至る12世紀末にかけての文化の中でうまれた作品である。寺院の創建にまつわる話を絵巻としたもので、通常の寺社縁起のごとく開山の縁起を記したものではなく、平安時代中期に信貴山で修行して当山の中興の祖とされる命蓮に関する説話を描く。
院政期は、貴族勢力の衰退と武士勢力の伸長という過渡期に位置しており、文化の面でもこのような時代の気風を反映した新しい動きがみられた。
貴族の文化的関心が都での現実生活から、地方、庶民、過去(歴史)へと向かう傾向が顕著であり、また、武士・庶民文化の萌芽もみられる点を大きな特色としている。

山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻の3巻からなる絵巻で、都の庶民のみならず地方農村の庶民生活や風俗、躍動感が軽妙な筆致でいきいきと描いてあり、時代の空気がよく示されている。
登場人物の表情が豊かに誇張され戯画的であるので、鑑賞者も思わず顔がほころんでしまうほどだ。
日本の美術作品で民衆の暮らしぶりが描かれるのは、これら絵巻物が最初であり、その意味でも画期的である。
観者は料紙を何紙も継ぎ合わせた巻物の位置や横幅を任意に選択し画面を止めて図を鑑賞できる。
巻物形式の特質である、右から順に見なければならないという物理的な制約を、連続して流れるような細やかな筆致で情景を展開することにより大和絵の特色を効果的に活用している。
尼公(あまぎみ)の巻では東大寺の大仏前で祈りかつまどろむ尼公のさまを描いた部分が、異時同図法を用いた圧巻として知られる。
時の推移がわかりやすい人物配置や画面一杯に広がる自然風景の描写、図様の疎密、テンポの緩急、時として前後する場面表現、視点の遠近の組み合わせによる起伏に富んだ画面展開が流動的に紡がれていく構成は律動感をもっているので物語にひきつけられたまま目をはなす事が出来ず最後までひきこまれてしまう。

信貴山縁起絵巻は漫画のような性質を持っているので物語の推移を先へ読み進む楽しみ方を持っていることと比べると、源氏物語は、額に飾られた絵を、歩みをとめてゆっくりと鑑賞するような楽しみ方がある。人物の心情が画面に細密に描き出され女絵ならではの味わいがある。
「源氏物語絵巻」の世界が閉ざされた安泰した貴族の世界観を表しているのに対し、「信貴山縁起絵巻」は鎌倉新時代をむかえる平安末期の変動する社会情勢、密教図像の流行などの時代感覚背景を持ち、前者の表現を静とするならば、後者は動といえる。

参考文献「じっくり見たい源氏物語絵巻」、佐野みどり、2000年、小学館
「国宝絵巻信貴山縁起絵巻」、村重寧、1979年、岩崎美術社、「日本美術の流れ10−13世紀の美術」、千野香織、1993年、岩波書店
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by artkzr | 2010-07-10 12:18 | 考察