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私的映像文化未来論

デジタル技術やネット社会における「写真」の未来像を述べる。
写真は19世紀半ばに写真技術が発明されると普及の過程において、ブルジョワジーが安価な肖像画の手段として求めたことが大きな役割を果たした。
さらに複製技術が発達することにともない、展示デザインの中で活用されると同時に一点ものの芸術作品として価値づける制度が1937年以降活発になった。
作品発表の場を従来の雑誌や新聞などの印刷媒体ではなく、美術館やギャラリーに求める写真家がふえていった時代でもある。
一方、アンディー・ウォーホルなどにみられる後年のポップアートのなかでは、写真は大衆文化の記号として繰り返し複写されて用いられている。
アメリカの批評家スーザン・ソンタグは著書「写真論」の中で、湯水のように溢れる戦争報道写真や広告写真の映像が現実世界とのつながりを強化するようでいて、実は反対にわれわれの感覚を麻痺させ、そのインパクトを弱めていることを主張している。
写真の歴史はグローバリゼーションの歴史と深く関わっており、産業革命のさなかに実用化された。
新聞は不特定多数の公衆を読者に発行されはじめ、通信社が遠隔地の情報を送り届ける専門機関として情報の平準化をもたらした。
写真はそうしたなかで、世界へのわたしたちの想像力を根底から変化させた。
現代では2000年に携帯電話にカメラがついた機種が発売され、撮影した画像を送信・交換できる新たなコミュニケーションスタイルが成立し、小型化しパーソナル化したカメラによって生み出された多数の写真が、ブログなども含め紙媒体ではない写真イメージとして日常の中に氾濫している。
物心ついた時からカラー写真やブラウン管に囲まれて育ち、「マイ・カメラ」をもった世代には、絵筆や鉛筆よりもカメラやコピーの方が身近な表現手段であるといえよう。
現代美術のなかでも写真や映像の利用が日常化し、写真家のインスタレーション展示も珍しくなく、写真は表現行為の基本メディアとして不可欠な存在である。
さらに写真が美術館のようなシステムに取り込まれていくなかで、「写真」と現代美術との境界線は失われつつある。
個的な表現としてのそれは、ごく限られた場所に押し込められつつある。
しかしそれは「写真」の領土が狭まったと言い切るのではなく、様々な表現に浸透し融合していくことで新たな世界を構築しているとはいえないだろうか。
例えば、大戦直後にベルリンに飛び火したダダイズムでは、革命的な社会・政治情勢ともあいまって左翼的な過激主義の色彩が濃く、「フォトモンタージュ」という表現形式をとり、雑誌から切り抜いた写真や生の写真を元の文脈からはまったく自由に組み合わせて、過激なアジテーションを行った。
現在では写真コラージュのために実際に鋏を使わずして制作することが可能だ。
私事ではあるが、自身も写真家である父の影響から幼い時分からフィルムカメラを持ち日常風景を気ままに切り取っていたが、10年程まえからはファッション写真などの印刷物や自分で撮影した写真を用いて作成したコラージュを作品として額装し展示をはじめた。
近年になるとそれらに使用する素材をスキャナで取り込みフォトショップという写真加工ソフトを使ってデジタルコラージュなるものを制作している。
それらが純粋な「写真」であると定義するのは無理があるが、「写真を用いた作品」と呼ぶのは差し支えないと思う。
もしくはグラフィックデザインとも言えるが、私自身にとって制作の出発点はいつでも写真であるから、写真から派生した作品であるとしたい。
注意すべきはデジタルカメラやスキャナ・コンピュータの普及により、デジタルイメージが選択肢のひとつとして一般化されるにともない、映像メディアだけでなくメディア全般のメディア・リテラシーが求められている部分である。
時にすぐれた写真家は卓越した能力に加え、それを普遍化する力を持つ。写真家の文章、エッセイなどの「言葉」は本人の日常体験をリアルに伝える力を持ち、作品として見る者の感興を呼ぶ一助となりえる。
作品そのものだけではなく、現代でいえばブログやtwitterなどのネットワーク上のサービスで写真&文章などを作品として見せることもある。
1つの視点のみで作品の優劣をはかることは不可能だ。
未来の写真芸術作品は90年代以降のキャノンが主催する公募展「写真新世紀」にみられるような大きなサイズのプリントや、ビデオ映像・ドローイング・テキストなどとの写真以外の媒体と組み合わせたインスタレーションのような作品表現も盛んになるだろう。
その組み合わせや媒体も現実空間から仮想空間まで種々様々、無限に広がっていくはずだ。
もはや写真芸術は一方向からの物差しではおさまりきれない。
個人の写真表現は、様々な技術と個性を影響させ融合して新たな表現を生むことにより視覚芸術として昇華するのだ。



参考文献、「世界写真史」、飯沢耕太郎、2004年、美術出版社、「現代写真のリアリティ」、宮本隆司他、2003年、角川書店
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by artkzr | 2010-08-10 23:36 | 考察

ピクトリアリズムからグラフジャーナリズムまで覚え書き

すべての映像は光と影からなり、その、「写真」のテクノロジーの萌芽は紀元前までさかのぼる。
カメラ・オブスクラは17世紀の「光と影の大いなる術」の中で遠近法の研究途上で新奇な視覚現象のひとつとして言及されており、実用化されるようになると多くの画家たちが作品制作の補助用具として「新奇な視覚現象」を絵画表現に取り込むようになった。
1840年代後半から50年代初めにかけてのカロタイプを用いた風景や建築物などの主題のアプローチを担った主だった写真家たちは、画家活動から転身してきた例が多く見られ、画家でなかった少数の人々でも絵画と緊密な接触関係にあった。
他方「1859年のサロン」という批評文の中でシャルル・ボードレールは写真術を「才能に恵まれないすべての画家たちの避難所」とし、「写真は科学と芸術の召使いという本来の義務に立ち戻らなければならない」という意見を述べており、当時の写真術の社会的地位の賛否がうかがえる。
コロジオン、アルビュメン法の普及とともに、富裕層のアマチュアによる肖像の探求で創意に富む例が19世紀後半に展開され、寓意的な主題設定による人物の演出写真や合成印画による「写真における絵画的効果」はアマチュア層に広く影響を及ぼした。
さらにゼラチン乾板の一般化とともにアート・フォトグラフィを志向する写真活動は19世紀末にピクトリアリズム(絵画主義)として立ち現れ、写真芸術運動は広がりをみせていった。
セザンヌやピカソ、ユトリロやアンリ・ルソーといった画家たちも写真をもとにした制作を行っているが、写真術の持つきわめて現実的で俯瞰的表現を絵にあてはめる場合、縮寸のむずかしさとの葛藤があった。
それは遠近法による空間構成の数学的な正確さが人間の視覚器官による調節可能な遠近法的な眺めと、まれにしか一致しないことによる。
しかし遠近法を徹底させることが芸術の質を高めることにはならないという事実に、写真術と絵画表現の根本的な質の相違がうかがえる。
因襲的な画家たちは、写真をまる写し用のお手本として用立てたが、実験的な写真と絶えず接触し、今まで見えなかったものを見えるものにする可能性を求めたのは印象派の画家たちであった。
写真に写実性という存在意義を脅かされた絵画が、独自の領域を見出した印象派の誕生である。
絵画と写真は互いに影響し合い、互いを意識しつつそれぞれの「性格」が形作られていったのである。
例えばウジェーヌ・アジェの19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの街並みの記録は当初、画家の「美術作品のための資料」であったが、マン・レイに見出され写真作品に昇華した。
さらに1919年にドイツのバウハウスに起こった新興写真運動は、世界の写真界を刺激し絵画の後を追うことをやめた新しい写真表現が始まったのである。
それは、写真本来の特質を再認識しようとしたもので、写真の記録性、瞬間の固定、精密描写、動感の表現、諧調の表現、遠近感の解放・誇張、視覚の延長、アングルの自由などを大胆に実験したカメラの目で見た新しい展開だった。
アメリカでは1920年代から30年代にかけて絵画や絵画的写真とは一線を画する、写真芸術の独自の可能性が優秀な写真家たちによって追求され拡大されていく。
ライカに代表される小型カメラと高感度フィルムの普及によってありのままの戦争が写真雑誌を通じて報道されるようになると、写真は芸術とジャーナリズムを強く結びつけるように働いた。
戦争報道写真が全盛期を迎え、個の視覚が社会で重要な意味を持つようになると、シュルレアリスムなどの現代美術に精通していたアンリ・カルティエ・ブレッソンは報道の為の写真ではなく、自分の関心に従って被写体を求め、写真に芸術としての品位と尊厳を与えた。
第二次世界大戦後の大学レヴェルの教育機関での写真教育により、享受者である新世代の写真家にとって写真が芸術手段であることは自明のものとなり、絵画など他の美術表現との融合が進んだのである。
1940年にはニューヨーク写真美術館に写真部門が発足し写真を現代美術の中に根づかせ、権威を高める役割を果たしている。
絵画と写真は密接にかかわり合いながらも似て非なるものであり、絵画の場合、技量の違いはもとより画家が眼に映る対象の何を見、何を見ないかという概念の作用による選別の違いが介在することで、画家たちが同一の対象を同じ位置から見て自分の手を使って写実的に描いても、生み出される画像はそれぞれ異なったものとなるが、写真はカメラを使って印画紙を感光させ作品を生み出すため、限りなく似た作品があっても本質的には記録である。
しかしその撮影の対象や撮影方法、カメラアングルや演出、現像や焼き付け技術、完成後の加工などによって作品は変化し、表現性が加味される。
絵画より瞬間を捉えることができ、リアルさも優れている。
芸術的表現の一つとして、見る人に撮影者と同じような臨場感を与える効果ももっており、絵画に比べて再現力の客観性が高いことを特徴としてあげられる。


参考文献、「世界写真史」、飯沢耕太郎、2004年、美術出版社、「写真と芸術、接触・影響・成果」、オットー・シュテルツァー、1974年、フィルムアート社、
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by artkzr | 2010-08-06 14:35 | 考察

バロック

「バロック」美術は16世紀末から18世紀初頭にかけての西洋美術の様式である。
プロテスタントの登場によって危機に見舞われたカトリック教会の対抗改革(反宗教改革運動)や絶対王政の確立を背景にした美術様式であるといわれている。
教皇庁が一般大衆の教化のための対抗宗教改革を経て権威の回復をおこなった。広く人々の感情に訴えるような奇蹟や殉教の物語が推奨され、強調され、豪華絢爛な聖堂、礼拝堂、祭壇が多く建造された。絶対主義王政下のスペインやフランスでは、美術行政が国家の重要事となる。
バロック美術はスペイン・ポルトガルが植民地化した中南米まで広がった。反宗教改革の軌道にもとづき創始された新たな宗派もバロック美術の発展に重要な役割を果たしている。
当時の芸術は鑑賞者の理性よりも感情に強く訴えかけるように工夫されており、歓喜、苦悩などが表現された。
イリュージョンによってわれわれを現実から遊離させ、聖人が経験するような宗教的幻視の視覚的な劇的さを特徴とし富と権力は虚飾に満ちた華麗さとして表現された。バロック絵画には躍動感があふれ、派手なきらびやかさに満ちており、明暗の対比がはっきりとし、描かれている人物たちの動きは流動的で激しくドラマティックである。
遠近法は強調され、誇張され、幻想に近い壮大なイメージを生み出した。
画題となるのは主にギリシャ神話や聖人、あるいは貴族や王族の生活や肖像であり「プロパガンダ」はバロック美術がもつ本質のひとつである。
注文主は王族・貴族・教会などの大金持ちで、修道会の伝道活動や聖人の栄光を称えようとするものや教皇や君主の治世やバルベリーニ家やメディチ家そのものを賞賛しようとする場合もある。
バロック絵画の全盛期は17世紀で、その中心はスペイン、スペイン領ネーデルラント、オランダなどであった。その先駆者と目されているのは北イタリアのロンバルディアで修行し、ローマとナポリで活躍したカラヴァッジオやギリシャ出身でスペインのトレドで活躍したエル・グレコが高く評価されており、他の代表的な画家としてはスペインのベラスケスやフランシスコ・デ・スルバラン、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、スペイン領ネーデルラントのルーベンス、オランダのレンブラント、フランスのニコラ・プッサンなどが挙げられる。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(1571年9月29日 - 1610年7月18日)は、イタリア・ミラノ生まれの画家でカラヴァッジオ(Caravaggio)という通称で広く知られているがローマ時代のカラヴァッジオは数多くの逸話を残している。
例えば「聖母の死」では、注文主の教会が「聖母マリアのお眠り」というテーマで描くよう依頼したにもかかわらず、カラヴァッジオは横たわっている女の遺体を描き、受け取りを拒否されるような従来の儀典的・超越的な聖母の死=魂の昇天のイメージを根底から否定する描写をしばしばしている。
その表現はルポルタージュ風の即物性と容赦なきリアリズムであり、教会に拒否されたのちに私的なパトロンによって高額で買い取られていることから他方では教会とは異なる高度に芸術的な価値基準が成熟していたことがわかる。
そもそもキリスト教の主題には、死や殉教、暴力、流血といった残酷なドラマが数多いがこのような人間のもつ暴力的エネルギーと恐怖を主題に描いた画家はカラヴァッジオが最初である。
「革命的」な性格を持つ「闇の様式」は17世紀のイタリアのみならず、ヨーロッパ各地の画家に強烈なインパクトを与え、数多くの「カラヴァッジェスキ(カラヴァッジオ様式の模倣者)」を生み出した。
宗教主題の反伝統的で挑戦的な民衆的=清貧主義的解釈、人物表現におけるラディカルなリアリズム、光と闇の表現的価値に精通した明暗対比の劇的な強調と新しい風俗主題のレパートリーの開拓、暴力的テーマの導入である。
この様式は、スペインのリベラやフランスのジョルジュ・ド・ラ・トゥール、オランダのユトレヒト派の画家たち、レンブラントへと引き継がれた。
「ユディット」の主題は中世以来、さまざまな芸術家によって描かれているが、カラヴァッジオの影響をうけた女流画家アルテミジアも描いている。
ホロフェルネス殺害の場面を表現するのはバロック期の新しい展開だが、カラヴァッジオの同主題の絵のユディットが身体を後方に引き気味にし、不愉快な表情で眉をひそめているのに対し、アルテミジアの描くそれは、逞しい力技を発揮し時に残酷な女性の本質を女性ならではの視点で描かれているように見え、比較すると、「暗」の局面を持つ一方で優しさや愛を持ち合わせていたようにも感じる。カラヴァッジオは徹底したモデル主義を貫いた自然主義者であり、いかなる作品を描く場合でもローマの裏街にたむろする老若男女、悪童や賭博仲間、人夫や娼婦、愛人などをアトリエに呼び絵を描いた。身分や地位などをとりはらった人間の存在そのものへの洞察による生々しいまでの表現は、官能性をも感じる。

参考文献「キリスト教辞典」、大貫隆、2002年、岩波書店、「世界美術史」、メアリー・ホリングスワース、1994年、中央公論社、「名画への旅11バロックの闇と光」、岡田裕成他、1993年、講談社
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by artkzr | 2010-08-02 09:56 | 考察