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イズムーシュルレアリスムを中心にー

20世紀の美術は、様々な「イズム」に彩られ、その動きは多様であった。
その中で、1925年から1940年までの芸術運動である「シュルレアリスム」は、元来文学運動として興り、美術に伝播するにとどまらず、政治や思想・社会的にも波及する。
同時代、大戦後の安定志向に呼応し「秩序への回帰」をキーワードとする、モホリ・ナギ、シュレンマー、アルバース、イッテン、レジェのヨーロッパ構成主義、工業時代を背景に脱キュビズムを掲げ、究極の純化を抽象化・単純化に見出したオザンファン、ル・コルビュジェのピュリスム、装飾を排除し簡素で幾何学的なデザインを建築中心に学ぶ美術学校バウハウスおよび運動はクレー、カンディンスキー、イッテン、ファイニンガー、ブロイヤーによる。
カンディンスキー、モンドリアンの抽象様式の反動とともに具象への回帰運動の新即物主義はディクス、ベックマン、グロス、ショルツ、シュリヒターにより敗戦国ドイツで生まれるが、混乱と荒廃を直視した労働者・娼婦・傷痍従軍・堕落したブルジョワ・資本家・官僚などの実態をシニカルに描く社会批判的な側面を持つ。
形而上絵画はイタリアのみの運動であり、デ・キリコとかつての未来主義者カルロ・カッラが自分達の絵をさす言葉として使い始める。
デペイズマンと呼ばれる技法の、見る者に不安・苛立ち・謎めいた感覚をかき立て、非日常な世界へと誘う。
それはシュルレアリスムの先駆となる。
同頃、チューリヒでダダイズムが生まれる。
芸術自体を全否定する反芸術運動であり、それは美的伝統・価値観を覆す作品を発表し芸術そのものを考え直す狙いがあった。
デュシャンを筆頭にアルプ、ピカビア、ツァラ、ハウスマンは虚無的・アナーキズム的・破壊主義的な性格を持ち、偽善的・独善的と彼らが見たヨーロッパ文明とブルジョワ社会に対する反感嫌悪感という否定的な感情に端を発する。
デュシャンのレディーメイドなどの作品はシュルレアリスムのみならず戦後ポップアート、ネオ・ダダ、コンセプチュアル・アートなどに多大な影響をあたえた。
チューリヒからドイツ・パリとそれぞれの運動が展開するが1922年に解体する。パリ・ダダの中心にいた詩人アンドレ・ブルトンはダダの精神を受け継ぎ「シュルレアリスム」として、より理論的に人間の内面を探求し社会の変革をめざす運動に発展させる。
「理性のいかなる支配からも、また道徳的・美的ないかなる考慮からも自由な精神状態がシュルレアリスム的な創造の原点である。」と、1924年の「シュルレアリスム宣言」で発表し、その働きを「オートマティスム(自動記述)」と呼ぶ。
夢を無意識と現実の世界をつなぐ鍵と見なすフロイトの精神分析学による。
運動の認知度を高めたのは画家であり多くはパリに集まったが、ダリ、ミロ、一時期のピカソ(スペイン)、エルンスト(ドイツ)、マグリット、デルヴォー(ベルギー)、マンレイ(アメリカ)、ジャコメッティ(スイス)など、フランス人以外の外国人が多いことからシュルレアリスムが国際的な運動であったことがうかがえる。
形而上絵画のデ・キリコに触発された画家は多いがアプローチは様々でマグリットはイメージを均質に配置する魔術的リアリズムに到達する。
また、デルヴォーは西欧絵画の伝統、人生の無常を想起させる死と虚栄のモチーフを描く。
静寂感と孤独な感性が漂うのはイヴ・タンギーであり、彼にも影響されるダリは「パラノイア的批判的方法」による絵画を確立する。
ダリとは別の意味で性的攻撃性を持つのがハンス・ベルメールである。
また、ダリと同じカタルーニャ出身のミロはシュルレアリスム的なオートマティスムにとらわれない自由奔放な表現を持つ。
他にも15世紀のボス、16世紀のアルチンボルド、近くは素朴派のアンリ・ルソーなど過去の画家たちからも影響を受けている。
アンドレ・マッソンは第二次世界大戦後の抽象絵画によるアメリカ抽象主義への影響が大きい。
ロベルト・マッタ・エチャウレンは、パリでル・コルビュジェに建築を学んだ後グループに加わるがアメリカに渡り、ヨーロッパとアメリカのシュルレアリスムの架け橋となる。
マックス・エルンストはデペイズマンやフロッタージュ・デカルコマニーなどの技法を駆使し、彼に影響された女性の活躍がめざましい。
シュルレアリスムは次第に政治色を強め、第二次世界大戦をもって一応の終息をみた。

イズムは時代に単独で存在するのではなく、美術の歴史の中で社会背景が密接に関わり塗り替えられて来た。
それまでのほとんどが神話・宗教・歴史・伝説などの内省的・文学的な主題だったのに対し、20世紀の機械や技術の発展にともなう機能性・生産性を重視する物質的な文明生活が浸透したことや、第一次世界大戦の創造なき破壊と殺戮の連続が現代美術にとってひとつの転機となった。
心や性・夢の深層を探ることや空間と時間の観念をあらためて考えることを通し、芸術とは何かを問い、絵画・彫刻という伝統的な芸術の媒質の価値観やタブーを破り、表現の刷新が行われ、他領域にも多大な影響を与えた。
第二次世界大戦後、美術はヨーロッパからアメリカに舞台を移しシュルレアリスムは抽象象徴主義の原点となり大きく貢献する。
現代芸術におけるイズムとは社会的な価値を変えようとあるいは、超えようとする行為である。


参考文献:「ダダとシュルレアリスム」、マシュー・ゲール、2000年、岩波書店、「すぐわかる20世紀の美術」、千足伸行、2008年、東京美術、「20世紀の美術」、末永照和・他、2000年、美術出版社、「芸術論の歴史」、ウード・クルターマン、1993年、勁草書房、
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by artkzr | 2011-09-01 14:59 | 考察

画集と小冊子の境界線

フジタ展カタログ事件にみる画集と小冊子の境界線



美術の著作物の展示にともなう複製(展示に添えるパンフレットなど)について「フジタ展カタログ事件(東京地裁1989年10月6日判決昭和62年(ワ)第1744号著作権侵害差止等請求事件)」の判例を考えます。
原告Xはレオナール・フジタ(藤田嗣治)の未亡人であり、著作物の著作権を相続により承継取得しました。
被告Yは、昭和61年から62年までレオナール・フジタ展(以下本件展覧会)を開催し、日本各地で作品を展示しました。
その際、被告Yは本件展覧会に展示中の本件著作物を複製して掲載した書籍を作成し領布しました。
原告Xは、著作権法第25条(展示権)の「著作者は、その美術の著作物又はまだ発行されていない写真の著作物をこれらの原作品により公に展示する権利を専有する権利」を持っているので、本件著作物を本件書籍に複製し領布する行為をXの著作権を侵害するものであるとして、本件書籍の印刷、製本、及び領布の差止め、本件原版及び本件書籍の廃棄、2800万円の損害賠償を請求して本件訴訟を提起しました。
被告Yは本件著作物の原作品の所有者から、本件著作物をその原作品により公に展示することについて同意を得て展覧会を開催しているので、自分には本件書籍を著作権法第47条の「美術の著作物又は写真の著作物の原作品により、第25条に規定する権利を害することなく、これらの著作物を公に展示する者は、観覧者のためにこれらの著作物の解説又は紹介をすることを目的とする小冊子にこれらの著作物を掲載することができる」権利があるとして、本件展覧会の本件著作物は観覧者のための解説又は紹介することを目的とした小冊子であるので、著作権侵害にはあたらないとしました。
問題になった小冊子の総ページ数は144ページで本件展覧会の展示作品のみを掲載しています。
本件著作物の形態は、図版部が98ページを占め、その中に130点の作品が複製掲載されていますが、大きさが規格に納まる程度に縮小されたもので大部分が1ページの半分以上の大きさでした。
原寸に近いものが8点、解説の付された作品は7点でした。
紙質はアート紙、装丁はフランス装、裏表紙は厚手の上質アート紙を用いた金色の装丁でした。

第47の示す小冊子の趣旨とは、小冊子の複製の態様が市場において観賞用として取引される画集とは異なることです。
著作権者の許諾がなくとも著作物の利用を認められる内容とは、著作物の本質的な利用にあたらない範囲で、観覧者のために著作物の解説又は紹介、をすることを目的とする小型のカタログ、目録又は図録を意味します。
もし、今回のような市販されている画集と同じ価値を持つような内容を「小冊子」として会場で販売すると、観覧者はそれを持ち帰り画集として鑑賞することができます。
画集出版は著作権者にとって利益を得る重要な機会で、影響を与えます。
ただ、21条の複製権は複製の質は問われていないので、Yは画集のような豪華な「小冊子」を作成しました。それに対しXは、規格、紙質、複製形態等からみて市販の画集に匹敵する質を備えていると、捉えました。
47条の指し示すような手段を考えるとき、「観覧者のためにこれらの著作物の解説又は紹介をすることを目的とする小冊子」なわけですから、展示された原作品と解説、または紹介との対応関係を視覚的に明らかにする程度、すなわちそれ自体鑑賞性のある写真やカタログの質を画集と同等にする必要はないのです。
「小冊子」といいうるための書籍の構成とは、著作物の解説が主体となっているか、または著作物に関する資料的要素が多いのかということ、小冊子の紙質、規格、作品の複製形態が観賞用の書籍と同等の価値を備えていないことなので、本件の被告Yの作成した「小冊子」の態様が第47条の適用を受けられるか否かという点が結論を分ける分岐点となりました。
本件書籍は、たとえ観覧者のためであっても実質的にみて、観賞用として市場で取引されている豪華本や画集と比べ内容的に遜色なく市場価値を有するものであるとしてこれに含まれないものと解するのが適当としたうえで複製は認められず、複製権侵害になるとしてYの抗弁を斥けました。
昨今はデジタル技術の発展などで展覧会カタログを高品質化することが容易になりました。
また、社会環境の変化や観覧者の要求も多いため、さまざまな複製製品が展覧会場で販売されています。
著作権者は、画集だけでなく絵はがきやポスターなどの複製品からも経済的な利益をえています。
例え展示会場のみで販売されているカタログだったとしても「小冊子」とは言いがたい規格だったため、その規格での製作は、著作権者からの複製権の許諾を得る必要がありました。


参考文献:「マルチメディアと著作権」、中山信弘、1996年、岩波書店、
(社)著作権情報センター、http://www.cric.or.jp/index.html、
著作権判例データベース、http://tyosaku.hanrei.jp/hanrei/cr/5582.html、「編集者の著作権基礎知識(第5版)」、豊田きいち、1993年、日本エディタースクール出版、「別冊ジュリスト157号著作権判例百選第3版」、津田憲司編集、2001年、有斐閣、「現場で使える美術館著作権ガイド」、甲野正道、山梨俊夫、2011年、株式会社星雲社、
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by artkzr | 2011-09-01 14:04 | 考察